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前田日明のプロフィール

1959年1月24日、大阪市南恩加島出身。
中学から空手を始め、無想館拳心道二段を習得。

1977年7月、新日本プロレスに入門。
1978年8月、新潟・長岡市厚生会館での山本小鉄戦でデビュー。

カール・ゴッチの特訓を受け、1982年2月からの英国修行では“クイック・キック・リー”の名前で活躍。
凱旋帰国後に対戦したアントニオ猪木から後継者の第一候補に挙げられた。

1984年4月旗揚げの旧UWFにエースとして移籍。
格闘技スタイル確立を目指しつつ1986年1月、UWF軍として新日本プロレスに参戦し、1987年10月、ドン・ナカヤ・ニールセンとの異種格闘技戦で格闘王の称号を得た。

1988年5月には新生UWFを旗揚げ、1989年11月、東京ドーム大会を頂点に日本マット界にUWFブームを巻き起こした。

1991年1月に新生UWFは解散し三派に分裂。
前田は所属日本人が自分ひとりのまま、同年5月にリングスを旗揚げした。
世界ネットワーク構想を掲げオランダ、ロシア、グルジアなど各国で支部が設立され「最強はリングスが決める」のキャッチフレーズで「メガバトルトーナメント」を開催して後のK-1に多大な影響を与えた。

1999年2月、“人類最強の男”アレキサンダー・カレリン戦で現役引退。その後、リングス代表に就任してアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、エメリヤーエンコ・ヒョードル等を発掘し世に出した。

リングス解散後、沈黙を守っていた前田待望論は、ファンの間に根強く残っていた。

そして2005年1月、ついに活動再開が発表された!

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