1957年11月27日、山口県下関市出身。
高校時代にアマレス、柔道を学び1975年7月、新日本プロレスに入門。
格闘技世界一決定戦を行っていたアントニオ猪木に格闘センスを見出され、1977年11月にはマーシャルアーツのマーク・コステロと対戦、新日本プロレスから他競技に出撃するのは、これが史上初めてだった。
1978年5月、海外修行に出る。英国では“サミー・リー”の名前で活躍。
1981年4月帰国しタイガーマスク(初代)に変身、四次元殺法を駆使して日本全国の人気者になった。
だが人気絶頂のまま1983年8月、引退。
タイガー・ジムを設立して総合格闘技の指導にあたる。
1984年7月、旧UWFでカムバック、自ら考案したシューティング・ルールで実績を積みUWFの基礎を築いた。
1987年3月、修斗協会を設立して本格的なシューティング普及に努める。
1989年5月にはプロ大会を開催。
1994年7月には“400戦無敗”ヒクソン・グレイシーを招聘、シューティングはバーリ・トゥードと融合して総合格闘技に進化を加えた。
後に猪木と合流してUFO設立。
柔道からプロ転向を果たした小川直也を育成、打撃主体の掣拳道を始めた。
格闘技界の先を読む確かな眼に関係者も驚きの声をあげている。
2005年には「天壌無窮」を始動させる。