1963年12月15日、宮城県仙台市出身。
高校時代に空手・大道塾に入門。
シュートボクシングから1992年3月、正道会館『格闘技オリンピック』で総合格闘技デビューを飾る。
1993年2月のリングス『後楽園実験リーグ』で格闘技の新時代到来を告げた。
UFC出現で日本の格闘技界が柔術にアレルギー現象を見せる中で、逸早く米国サンフランシスコのカーリー・グレイシーの門を叩いた。
1995年9月、K−1のリングでアルティメットルールを行い秒殺、同10月には日本人としては初めて本場ブラジルでバーリ・トゥード勝利を飾った。
チーム・アンディのメインコーチを務め、一時はプロレスラーとしても活躍した。
現役引退後は自ら設立したストライブルで格闘技指導、K−1等でレフェリーも務める。